「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹をとりつつ、万のことにつかひけり。名をばさぬきのみやつことなむいひける。その竹の中に、本光る竹一筋ありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうてゐたり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なめり。」とて、手にうち入れて家に持ちて来ぬ。妻のおうなに預けて養はす。美しきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけてのちに竹取るに、節を隔ててよごとに金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。」という書き出しで始まる「竹取物語」が、当時の国語の教科書に古文として紹介されていました。
生徒は、「竹取物語」はよく知っているお話で、古文としての学習を高めるものでした。
生徒が知っている「竹取物語」のあらすじを聞くと、生徒は「天に上ったかぐや姫で終わっている」と説明してくれました。
私から、実はその後の物語がある話をすると、「聞かせて」との声が出ました。
原文ではなく物語を聞かせました。
「月に帰る直前、かぐや姫から、地上の者たちに手紙と「不死の薬」を授けられた。天皇に薬が渡されたが、天皇も翁も嫗(おうな)も、だれも薬を飲もうとしない。かぐや姫のいない世界で永久に生きることに、翁たちは、もはや興味が無かった。いつまでも悲しい思いをするだけだということで、かぐや姫からの手紙と不死の薬を、天に一番近い日本一の山で燃やすことにした。その後、その山を「不死の山」から「富士山」と呼ばれるようになった。」と話したのです。生徒たちは、初めて知ったことで驚いていました。
そして、生徒たちは、自分たちで話し合って、保護者懇談会の待合時間にある学習発表会の出し物として「竹取物語」を演じることにしました。
脚本は、私が書きましたが、生徒は、道具や衣装を作り、一生懸命練習して披露しました。
自分たちが、学んだ喜びを人に知らせたい、人に分かってほしいという思いは、自分の存在を確認したい思いから来るものです。子どもたちは、そうして少しずつ成長していくのです。
やりたいという気持ちを、委縮させるのでなく、叶えさせてやることが大切です。
それを支えるのが教師だということを忘れてはなりません。