赴任して、生活が変わりました。
と言うのは、山に囲まれた地域で、日照時間も短く、電波も届きにくい所でした。
テレビ電波も、山の頂上に立つアンテナで受信したものを、各家庭に配線する共同アンテナの仕組みを取り入れた地域でした。
テレビを持って行ったのですが、共同アンテナに入らなければ見ることが出来ないのです。
そこで、テレビを見ない生活にシフトを替えてみました。
学校での勤務が終わり、教員住宅に帰って、することはたくさんありました。
近くの温泉に行き、ゆったりと汗を流し、夕食と朝食は、近くの食堂で格安に作っていただいていたので、作る手間もありませんでした。
終われば、学校の仕事です。
生徒に配布するプリントも、当初はガリ版(謄写版)印刷です。ロウ引きの原紙をヤスリ版に乗せ、鉄筆で文字などを刻むものでした。手間もかかりました。
数年経つと、FAX用紙なるものに原稿を書き、回転させ、光の熱でFAX原紙に製版するFAX製版機が登場し、便利になりましたが、手書きの手間は、今のパソコンの便利さのようにはいきませんでした。
新採ですから、毎日の授業研究も欠かさず、下調べなどをしなくてはなりません。
テレビの替わりに、ラジオやオーディオセットで音楽を聴きながら、仕事をしたものでした。
カーペンターズや、バート・バカラック、オリビア・ニュートンジョンを好きになったのは、テレビに替わり音楽への楽しみが増えた頃でした。
夜は、ラジオでハーブ・アルパートとティファナブラスの「マルタ島の砂」で始まる深夜放送の「オールナイト・ニッポン」も、お気に入りの番組になりました。
この地域の若い先生たちで始めた、教材研究のための「国語サークル活動」にも入りました。
10名近くの先生方が、毎週1回、それぞれの教員住宅の部屋を持ち回りの会場として、当時、小学校や中学校の教材に出てくる新美南吉や宮沢賢治等の教材解釈の議論を、深夜まで闘わせました。
今は、労働時間の問題があれこれ言われていますが、その当時は、そうして勉強することも億劫ではなく、楽しみにもなっていました。
その活動が、今は、文学に関しての興味や、人との繋がりという1つの財産となっています。
日頃の「あって当然」「していて当然」というものから離れてみると、時間に余裕が出来、今までとは違ったものにチャレンジできることで、視野や繋がりも広がってくるのです。
1つ何かを無くしていくと、仕事もはかどり、違うものが面白くなり興味が出てきます。
最近、皆さんは、好奇心から色々なものに手を出し、時間に余裕が無くなってきていることはないでしょうか。
ふと立ち止まり足元をみて、興味を持っているものを取捨選択してみることも大事なことだと思います。
新しい世界が広がっていきますよ!