最初に赴任した中学校の校区は、櫛田川の流域の河岸段丘に集落が形成されていました。
学校から西に5kmほどと、東に4kmほどが、校区になっていました。
その為、学校の近くの生徒は徒歩通学でしたが、生徒の多くは自転車通学になっていました。
当時は、一家に一台、自家用車を持つ時代になりつつありました。
40kmある隣の市まで通勤している保護者もあり、櫛田川沿いを車も走るので、交通量もかなり有りました。
細く曲がりくねった道が続き、自転車通学は危険も伴いました。
でも、私が勤務していた時代には、交通事故にあったという話はありませんでした。
その要因は、自転車通学生は、車が来ると、自転車を止めて降りることになっていたからです。
前から来ても、後ろから来ても、止まって車の反対側に降りて、車をやり過ごしてから再び自転車に乗るのです。
手間と時間が掛かりますが、事故に合わないために、学校で決められたルールでした。
生徒は、車が来る気配を察知して対応していました。
今の自転車に乗る人たちや、児童生徒は、一目散に先を急ぎ、周囲を見る余裕も無く、時には、交通ルールも無視して、事故を起こすことがあります。
でも、当時の生徒たちは、道が狭く曲がりくねっていることもあり、危機対応から、自分の命は自分で守るということを、良く分かっていたのだと思います。
周囲に気配りをすることから、気配を感じる感覚も身に付けることが出来、危機感を自然と身に付けていったように思います。
幼い頃から、周囲に気配りをしながら、感覚を研ぎ澄ませることは、大切なことだと感じました。
きっと彼らの危機感への感覚は、今でも、人一倍優れているのではないでしょうか。