昔のことで、もう時が解決してくれたということにして、この話を書きます。
担任をしていた1人の生徒が、ある日連絡もなく学校を休みました。心配して友だちから話を聞くと、「昨日から家にいない。」との話でした。
気がかりで自宅に行くと、お父さんが「わしと喧嘩して、家を出て行った。」と伝えられました。事情を聴くと、進路の面で父と口論になって、家を出たようです。父と彼の2人で住んでいるので、父と顔を合わせるのが辛いのか、家出をしたようです。父も心配になり友達の所には聞いて回ったようです。
一夜を明かしているので心配になり、「学校でも捜します。」と伝え、先生方もあちこち探し回ってくれました。学校が捜し始め、お父さんは、更に友だち以外の知り合いの所も捜してくれました。
夕方になり、近くの山の中で彼が見つかりました。怪我もなく無事だったのですが、お腹が空いていたようで、近所の人から戴いた食べ物を一生懸命食べていました。
無事で良かったということで、「お父さんとは、しっかり話をしなければ」と、なだめながら、お父さんに預けました。
次の日、彼は学校に来ましたが、友だちから、からかわれながらも、笑顔が出ていました。
その後、彼は「先生、心配をかけてごめん」と言ってきました。
進路の揉め事も、彼から事情を聞いてアドバイスもしました。
私は、彼が、この件で家を出るまでに至った思いを察しました。でも、彼から「ごめん」との言葉が出たことを喜びました。
「ごめん」の言葉には、家出する前とは違った思いが出来たのだと思います。
家出から、一皮むけて吹っ切れた彼を感じました。
自分から「ごめん」と言えるエネルギーが備わったのです。
思春期の生徒は、いろんな辛いことや悩みもあります。でも、一生懸命自分を思ってくれた人々に謝罪や感謝が出来る気持ちにまで至ったのなら、心配ないと思いました。
「ごめん」と言えるのは、自分で一歩歩き始めた、証拠でもあるのです。